本当に自分を満たすものって何?
昨日の記事を書いてから、色々考えてみました。
人はどうして望みを叶えても、すぐないものねだりをしてしまうのか?
昨日の記事はこちら
人間って成長・進化をするために生きているので(それを諦めて辞めてしまった人は論外)常に変化を求めていると思うんですね。
だから、こうしたい!こうありたい!と思ってメッチャ勇気出して、それを叶えても、少し時間が経てば、もうそれは当たり前になってしまって、ワクワク感も何もなくなっちゃう。
(あ、これって恋愛関係や結婚生活もそうだな・・・)
じゃあ、生きてるうちは、ずっとないものねだりなの?
望みを叶えたあとに、満たされる場合と、満たされない場合の違いってなんなんだろう?
[満たされないもの]
私なりに考えた結果、「自分でコントロールできるもの」「目にみえるもの」なのかな。達成した後も、またないものねだりをしてしまうような気がします。
例えば
・衣食住
・お金
・仕事
・愛をはさまない人間関係
どんなにお気に入りのブランド服を着ても、御馳走を食べても、都心の高級マンションに住んだとしても、慣れてしまえば、別のブランドの服も着たくなるかもしれないし、普通の家庭料理がやっぱりいいよね、ってなるかもしれないし、これからは都会より田舎だよね、ってなるかもしれない。
お金だって、もっともっと稼ぎたくなるかもいれないし、逆にマネーゲームに疲れて、必要最小限でいいよね、ってなるかもしれない。
希望の仕事に就けたとしても、もっとキャリアアップしたくなるかもしれないし、独立したくなるかもしれないし、違う職種を経験したくなるかもしれない。
愛をはさまない人間関係も、嫌だと思ったら、バッサリ付き合いを辞めればいいし、新しい人間関係を構築してもいい。
要するに、自分の外側にあって、意図すれば変えられるもの、これは果てしなく、ないものねだりが続くんじゃないのかな。
[満たされるもの]
と、なると、ないものねだりをしないのは「自分でコントロールできないもの」「目に見えないもの」になりますね。
例えば
・時間
・人の気持ち
好きな事をやって没頭している時間、ワクワクしている時間。
大好きな人達と過ごす楽しい時間、尊敬する人と過ごす有意義な時間、愛する人と過ごすほっこりした時間。
どれも心が満たされますね~
しかも、経験したのはその時間だけだけど、思い出や記憶になって、思い出すたびにその時間に戻れる。
時間はどんどん過ぎ去ってしまうし、買う事も出来ない。
だから、どんな時間を過ごすのかは、本当に大事!
のほほんと過ごした時間はもう取り返しがつかないけど、満たされた時間は記憶の中に永遠に残されます。
そして、人の気持ちも絶対変えることが出来ません。
好きだった人があなたを愛してくれたり、大好きな友人が一緒に喜んでくれたり、
悲しんでくれたり。
これもお金では買えないし、一度経験したら、ずっと心や記憶に残されるもの。
だから、嫌な記憶を残すより、好きな人に会って良い記憶を残す方がいい。
[まとめ]
では、本当に自分を満たすためにはどうすれば良いのか?
誰とどんな時間を過ごすのか?ってことが大切だってことが、わかりましたね!
もちろん、人は日々変化を望んでいますから、生活の中で、どんどん果てしない「ないものねだり」を楽しめば良いんです。
ただ、それだけやってても自分を満たす事は出来ませんよ、ってことです。
人が本当に望んでいることは、自分自身の内側を満たすこと。
誰とどんな時間を過ごすのか、常に意識しながら「楽しく」生きていきましょう!!
今朝の洞爺湖はどんより。のち快晴でした!
結局、人はないものねだり。
世間はお盆ですね。
私が住んでいる洞爺湖町は観光地ですし、我が家の近くや、お散歩コースにもキャンプ場があるので、大変賑わっております。
ただ、地元民としては、この時期だけ訪れる、にわかキャンパー達は、あまりマナーもよろしくなく、騒音やゴミなどを撒き散らすので、あまり歓迎はしていません。
町の施設の収入にはなるのかもしれませんが、経済効果もいまひとつな感じ。
しかも、隙間なく乱立しているテントを見ていると、この人達、休日までストレス溜めに来てるのかな、と思っちゃう。
そんな迷惑な感じなので、普段の土日に増して、極力外には出ないのですが、一人でうちにジーっと籠っていると、だんだん煮詰まって来るんですよね。
インドアも好きですが、どこかへ出かけるのも好きなので。
誰とも喋らず、会話するのは犬だけ。
おまけに今日は、お昼ごはんを作っている時に、包丁で指を切ってしまい、思いの外ボトボトとたくさん血が出たので(血を見ると力が抜ける)かなり動揺して、何だかわからないけど、激しく孤独感を感じてしまい、人恋しくなって、たまらずお友達のお店にお喋りしに行ってしまいました。
結婚してるときとか、子供がいるときには、
「あぁ〜ひとりになりたい!」
と思ったものですが、いざ、一人になってみると、人恋しくなってみたり。
人って贅沢。
いつでも、現状に満足してなくて、「こうなったら幸せなのに!」といつも思ってる。
なのに、いざそうなってみると、最初こそ幸福感を感じるけど、あっという間に馴れてしまって、また次の願望が出てくる。
自営してるときなんかは、特に思いましたね。
どこかに所属してるときには、いつかは独立したい!って目標をたてるんだけど、
いざ、独立してみると、毎月の収支に追われたり、忙しくて休めなかったり…
気を抜けば潰れてしまう危機感もあります。
「あぁ、決まったお給料貰って、決まった休みがあるって楽だったなぁ…」
なんて、思うんですよね。
結局、人は、いつも自分に無いものを求めていて、隣の芝生は青く見えるってこと。
だから、他人を羨んだりするんだけど、その羨んだ人も、実はすっごい苦労してるかもしれない。
そういうことを、踏まえた上で、自分の人生を選択していきたいものです。
今朝の湖。湖は「あぁ支笏湖が羨ましい!」とか言わないよね(笑)
信頼することで得られるもの
今朝の湖。
「お散歩は瞑想である」と、どこかで読んだ気がしますが、
それは多分本当で、湖畔を散歩していると、インスピレーションが降りてきたり、色んな気付きを得ることが多いです。
いきなりですが
大切な人に信頼されることが、自己肯定、自信につながる
逆に
大切な人の信頼を得られないことは、自己否定、自己卑下となる
と思ったので、自分の経験に基づいて、このことについて書いていきたいと思います。
[親に信頼されない]
私の実家は、父が銀行員だったこともあり、周囲の評判をとても気にする家庭でした。
特に母は、自分の理想に私をあてはめたがったので、私が意に沿わない行動をすると、ひどく私を責めました。
幼少時から、それを繰り返すうちに、何かを始める前から
「どうせ、あんたは~だから」
「~できるわけがない」
と言われるようになりました。
そして、年ごろになると、男の子といやらしいことをする、という前提で、超早い門限を決められたり(高校生なのに17時半!)、交換日記を盗み読みされたり、してもいないことをしたと決めつけられたり…
厳しくされればされるほど、私は自分の行動を信用してもらえないんだということを、強く実感することになりました。
一番身近な人に、何をやっても、悪い結果しか予想してもらえないということは、自分の存在を否定されてると思ってしまっても仕方のないことですよね。
[パートナーを信頼できない]
そんなふうに出来上がってしまった、自分に自信が持てない私。
それは、恋愛関係において、どのように影響してしまうのでしょう。
ありのままの自分では、悪い結果しか生まないと刷り込まれていますから、
・外見を美しくする
・相手に尽くす
・自分を殺して相手に合わせる
という「努力」をするのですが、それは本来の自分では無い訳です。
虚構の自分が愛されたとしても、それは本当の自分では無いのですから、常に不安がつきまといます。
いつも相手を失うのではないかと怖れていて、相手を束縛してみたり、常に行動を監視してみたり… パートナーを信じられない。
自分が本当の自分を認めていない状態で、相手の愛を信じたくて、いくら身体を重ねてみても、結局、心の不安や寂しさは埋められず、虚しさだけが残ります。
こうなると結果は想像できますよね。(自分で書いてて胸が痛くなってきた…)
結局、ありのままの自分を信じられないということは、相手をも信じられなくなるということです。
[自分をオープンにする]
では、誰かに信頼してもらう為には、どうしたら良いのでしょう?
これは、あくまでも私の個人的な考えですけど、
自分をさらけだす!
ことだと思っています。
あなたは、初対面の知らない人に、いきなり「私を信用して下さい!」と言われて信用できますか?
「自分はこうこうこういう人間です」と自己紹介されて、初めて相手を信用し始めますよね。
自分をオープンにすればするほど、相手も安心して心を開いてくれます。
例えば、娘の あんちゃ(http://www.mazimazi-party.com./)がたくさんの人に受け入れられているのも、普通の女の子がオープンにしないようなことをさらけだしているから、読み手が安心して信頼を寄せてくれるのだと思います。
そうして多くの人たちが認めてくれることによって、また自分自身を認めることができ自信にもつながっていくのでしょう。
[まとめ]
自分の身近にいる大切な人、親だったり、子供だったり、パートナーだったり、友人だったり…
そういう人に、信頼されないことほど、悲しく寂しい事はありません。
自分の存在価値すら無くなってしまいます。
そして、目の前の大切な人に信頼して欲しいのであれば、まずは自分がオープンになること。
こんなこと言ったら嫌われてしまう!と思う事が、すでに相手を信頼していないことなります。
あなたの事を信頼してくれている人ならば、きっと受け入れて理解してくれます。
そうじゃなかったとしたならば、それだけの関係だったということです。
例え親子であったとしても、そういう関係が築けないのであれば、今は距離をおいても良いのかもしれません。
自分をさらけだすのは、勇気のいることですが、それによって得る信頼は、間違いなく自分自身であることへの自信と安心へとつながることでしょう。
ゲスブロガーの母の生涯とは!?②学生編
前回の記事はこちら
前回から間が空いてしまいました。
記事を書いていると、当時の感情を追体験するので、しょっぱなから筆が進みません。
しかも、まだ小3までしかいってないし!
気を取り直して、この先はサクサクと書いていくつもり…
[居場所がない!]
恵庭市には、中一の途中までいたのですが、小学校の高学年の時には、「いじめ」もありました。
自分では、普通にしているつもりなんですが、そこそこ勉強が出来たり、ピアノも弾けたり、走るのも速くリレーの選手で、絵を描いても賞をもらったり、男子にもちょっぴりモテたりというのが、面白くない女子がいるんですね。
クラスの中心的存在の女子二人に目の敵にされ、誰にも口をきいてもらえなかったり、いわれのない陰口をたたかれたりで、学校には私の居場所はありませんでした。
もちろん、家庭でも本当の親だと思っていない母に、相談できるはずもなく、孤独感でいっぱいの私は、このとき初めて「死」を意識します。
実際に剃刀を手首に当てたこともあります。
このときは、数少ない仲良しの友人がいてくれたおかげで、何とかやっていけました。
[僻地への転勤]
そして、中一の途中で、父は羅臼町に転勤になります。
羅臼町は知床半島の付け根に位置する小さな街で、第一級の僻地認定されていて、3年の期限付きでした。
ちょうど高校受験と重なってしまう私は、当時札幌に住んでいた本当の両親(叔父夫婦)の元へ預けられました。
しかし、そこの家族からも疎外感を感じたり、厳格な両親から逃れられたこととで、ちょっと道を逸れそうになったんですね(笑)
で、結局、羅臼町の両親の元へ引き戻されてしまいました!
いやいや行った羅臼町なんですが、ここでの暮らしは思いのほか楽しかったんです。
まぁ、小さな町なので、みんなが親戚みたいな、噂はアッと言う間に拡がるとか、田舎特有のデメリットもありましたが、浜の人たちは、口は悪いけどみんな気の良い人ばかりで、今でも大好きな場所です。
個人的には、知床でメインの宇登呂町、斜里町より、断然良いと思っています。
[羅臼から砂川へ]
楽しい羅臼町での生活も、三年の期限がやって来て、またまた転校です。
高1の夏休み後、砂川市への転勤が決まりました。
そのころ付き合っていた彼氏もいて、号泣しながら転校しました。
ちなみに、それ以前にも付き合っていた彼氏は、みんな私の転校により、遠距離になって自然消滅という残念な結果となっております(笑)
さて、高校の転校は編入試験があります。
羅臼町は僻地なので、恐ろしく勉強は遅れていて、砂川の高校での編入試験は「入学試験の結果でOKだから、一応形式だから」とは言われましたが、数学とか多分0点だったと思われます!
それよりも、中学・高校あたりでの転校って、女子にとっては大変だというのは想像が出来ると思います。
すでに仲良しグループが出来ている中に、馴染んでいくのは本当に大変!!
私は転校を繰り返す中で、将来は絶対転勤の無い人と結婚するぞ!と固く心に誓ったのでした。
羅臼町での楽しい生活から一転、砂川の高校生活は本当につまらなかった!
自分の行きたい高校を選べないとことを、本当に恨みました。
[大学受験]
高校生活も終盤になって、進路を決めなければいけない時期です。
私は、小学生の頃から、お菓子作りや料理が好きでした。
だから、調理師の専門学校へ行きたかったのです。(その当時、まだ札幌には製菓の専門学校はありませんでしたし、東京への進学は絶対許してもらえませんでした。)
私の希望は伝えてみましたが、両親の答えは
「短大ぐらいは出ておきなさい」でした。
銀行の支店長である父のまわりの人たちは、みんな高学歴でした。
家が貧乏で大学に行けなかった父は、学歴へのコンプレックスがありましたし、母は
世間体を気にしていました。
私は、行きたくもない大学へ行って勉強する意味を見出せませんでしたが、自分の好きに出来るわけもなく、そこそこ成績の良かった私は、受験勉強をしないで済む、推薦で楽に行ける短大を選びました。
とにかく、親元を離れよう!と思ったのです。
[短大での生活]
晴れて札幌近郊の短大に入学した私は、念願のひとり暮らしを始めました。
厳しかった母は、学生寮にいれたかったのですが、無理を言ってごり押ししたので、
仕送りは最低限でした。
なので、アルバイトは必須でしたし、私にはもうひとつ目的があったので、ほとんど大学は代返を頼み、必死に働きました。
お金を貯めて、専門学校に入り直そうと思っていたのです。
親元から離れて、自由の翼を手に入れた私は、当時流行っていたディスコにも通いましたし、バイト先で彼氏も出来ました。
通っていた短大の学部は、教職課程を取るのが必須だったので、講義もびっしり入っていましたし、教育実習、病院実習もあり、朝から晩まで、本当に忙しかったです(笑)
[就職活動]
短大では、私の学部は全員が教員試験を受けなければならなかったのですが、教員になる気がない私は、形式だけ受けて、案の定落ちました。
私が受けた養護教諭(保健室の先生)は倍率が高いので、勉強していたって難関なのです。なので、ほとんどの人が、普通の企業への就職活動を始めます。
私はと言えば、バイトで貯めた金額では、専門学校への入学は無理だったので、いきなり現場へ飛び込もうと決めました。
その頃、名寄市にいた両親には、就職なんて何とでもなるから、帰って来いと言われましたが、そんなのは、まっぴらごめんだ!と思いました。
時を同じくして、私が在学中に札幌に開校した菓子専門学校に通ってた、バイト先で知り合った彼氏は、東京の有名菓子店への就職が決まりました。
なので、何となく私もケーキ屋さんで働こうかな~と思い(不純な動機!)情報誌で見つけた、札幌市内の某有名菓子店へ面接へ行くことにしました。
いざ面接へ行ってみると、すごい履歴書の数!!
専門学校も出ていない、何の経験もない私は圧倒的に不利でした。
そこで働きたい!という情熱だけは精一杯伝えましたが、半ばあきらめていました。
数日後…
合格の連絡が来ました!
こうして、私のパティシエとしてのキャリアが始まるのです。
つづく…
、
8月5日のお散歩
今日はスマホアプリから、投稿してみます。
都会の暑さに消耗しているあなたに、一服の清涼剤・・・ いや、思いっきり自慢する記事を書きたいと思います。
北海道の夏は、本州に比べれば格段に過ごしやすいですが、やはりワンコ達にとっては炎天下のアスファルトは、かなり過酷です。
なので、夏本番になってからは、暑くなる前の早朝にお散歩します。
毎日、湖畔沿いを歩くのですが、湖畔に出るまでの道路沿いは、今、紫陽花が見頃を迎えています。
満開になってから数日過ぎて、ちょうど色の変化が出てきたところです。
そして、湖畔の遊歩道に降りると・・・
今朝は、どんよりしていましたが、風が全くなく、湖面が凪いだ状態。
そんな時は、中島がくっきりと湖面に映って本当に美しいです!
少し視線を右にずらすと、水の駅方面の街も湖面に映っています。
少し歩くと、洞爺湖に住み着いている白鳥さんのご夫婦が。
遊歩道を歩きます。
リンちゃんは、野性児でお散歩大好き!
グイグイ行きます。
リュウくんは、基本的にインドア派なので、仕方無い感じでついてきます。
鴨のみなさんも、ゆっくり休んでいますね。
小さかった雛鳥たちも、成長しました。
もう少し歩くと、キャンプ場が見えてきます。
今は夏休み中なので、平日でもかなり人がいます。
これが土日やお盆になると、びっしりと隙間なくテントで埋まるのですが、混んだ道路をイライラしながら走ってきて、キャンプしても隣との距離が近くて、文句言ったりして。
休みの日まで、ストレス溜めに来てるのかと思いますね・・・
私なんか、毎日キャンプみたいなものですから(笑)
逆に混んでる土日は、家に引きこもります。
キャンプ場を過ぎた辺りで、いきなりのスコール‼
体育館の軒先で、しばし雨宿り。
小雨になったところで、帰宅しましたが、直後に本降りになってしまいました!
あたち、洗われてしまいますた・・・
これが、毎朝の日課となっております。
毎朝同じコースを歩いても、一度として同じ風景は無いので、飽きないし、毎回感動しますよ!
ゲスブロガーの母の生涯とは!?①幼少編
昨日から、プロフィール詳細を書こうとPCを前にするのですが、生きてきた年月もさることながら、おかげさまで、割と山あり谷ありの人生だったので、その膨大な内容を思うと、気が遠くなってしまって、進みません・・・
長くなるかもしれませんが、とりあえず書いていきましょう。
[各地を転々とする幼少期]
産声を上げたのは、北海道はオホーツク海に面した紋別市というところ。
しかし、銀行員だった父の転勤により、生後9か月でなんと新宿へ。
その当時の記憶はもちろんありませんが、聞いた話によると、銭湯の帰りにおでん屋さんの屋台に寄って、赤ん坊の私はおんぶされた背中で、はんぺんをしゃぶっていたそうな。
現在の新宿からは想像もできませんね。
その後、またまた転勤で埼玉県の志木市、千葉県の船橋市、と引越をします。
その当時は、どちらの場所もまだ田舎で自然溢れる環境でした。
田んぼで、おたまじゃくしやザリガニを採ったり、ポケットにかたつむりをいっぱい入れて帰宅したりと、暗くなるまで外で走り回っている、木登りが得意なお転婆娘でした。
そして、小3の時に北海道の恵庭市に戻ります。
[人生最大のショッキングな出来事]
小学3年生のある日のこと。
一人っ子の私は、兄弟が欲しくてたまりませんでした。
ことあるごとに、母に妹か弟が欲しいと訴えていました。
すると・・・
母「ほんとは、兄弟いるんだよ」
私「?!」
一瞬、母の言っている意味がわからず、絶句・・・
母「いとこのK子ちゃんとK君と、本当は兄弟なんだよ」
母「ママは本当のママじゃなくて、M子おばちゃんが本当のお母さんなの」
私「がぁぁぁぁ~~~~~ん!!!」
すごいショックでした。
しかし、子供ながら私は一瞬のうちに考えました。
ここで、泣いたら母が悲しむ!我慢しなきゃ・・・
泣きたい気持ちを抑え、無理やり笑顔を作りました。
母「血は繋がってなくても、いままでと何も変わらないからね」
[壁が出来た瞬間]
母は、そう言いましたが、幼い私の心では、事実を受け止めきれませんでした。
今の両親は、本当の親ではない・・・
本当の両親にも、捨てられた・・・
私には親はいないんだと思いました。
そして、私は両親との間に壁を作ってしまったのです。
事のいきさつは、こうでした。
母は父と結婚してまもなく、婦人科系の病気に罹り、子供が出来ない身体になってしまったそうです。
その時、父と母との間にも色々あったようですが・・・
父は長男だったので、祖父と祖母は、父の弟(私にとっての叔父)夫婦にすでに女の子が生まれていたので、次に出来た子が、また女の子だったら父の元へ渡すように、と命じたようです。
今の時代では考えられないようなことですが、昔は「家」とか「長男だから」とかいう考え方が、まだまだあったのですね。
自分も親の立場になってみて、どうしてこんな幼い子供に、こんな重大な事実を伝えたのか?理解に苦しみましたが、きっと母も辛かったのかもしれません。
ショックを受けたところで、疲れたので
本日は、ここまで。
次回をお楽しみに!!
心機一転!
- ブログ引越
今まで、アメブロで、ほぼ放置ブログ(http://s.ameblo.jp/ryumama-0229)を書いていましたが、何か古い自分みたいな感じがして、どうにもブログ書きたい意欲が湧かない。
スピリチュアルな世界にどっぷり浸かっていた時期もあり、それはそれで私にとって必要なことだったのだろうけど、今の私は、それを踏まえて現実をしっかり生きよう!と言う感じになっているので、ここは思い切って全て新しくしようとお引越しすることにしました。
まだ、はてなの仕様がよくわかっていませんが、とりあえず、きりが良い8月1日ということで記事を書きます!
- これからやりたいこと
2014年3月に札幌から洞爺湖町に移住して、それまでやっていたお店を辞め、子供達もほぼ独立し、昨年は二回目の離婚もして、今まで出来なかった事、行きたい場所に行く!会いたい人に会う!ということをやってきて、もう情熱的にやりたいこともないし、毎日湖眺めてしあわせだな~って思っていたのですが…
最近やっと自分のやりたいことが見えてきました!
- 北海道LOVE
これは、もうずっと前から北海道大好き!!なんですが、今まで行けなかった色んな場所に行った上で、やっぱり、北海道最高っしょ!ということで、たくさんの人に北海道の良さを知って欲しいし、私に何が出来るかわからないけど、疲弊してしまった地方の活性化も出来たらな… と思うのです。
- 洞爺湖LOVE
北海道の中でも、今私が住んでいる洞爺湖町。有数のパワースポットとしても知られていますし、温泉観光地で、修学旅行などで訪れる札幌市民には馴染みのある場所です。
サミットが行われた場所としても有名ですね。
でも、住んでみてわかったのですが、「裏」が良いんです!ビデオじゃありませんよ!
そういう知られざる洞爺湖の魅力も伝えて行きたい。その結果、その場しのぎの政策ではなく、若い人が積極的に入って来てくれたらなぁ~と思います。
- もっと自由に
これは、自分が「枠にはまるの大嫌い!」「人と同じ大嫌い」と生きてきて、色々苦しんだけれども、やっぱり自分らしく自由に生きることが、自分も幸せだけど、結果まわりも幸せにするんだ、ということを実感したんですね。
一番大きかったのが娘のクソマジメゲスブロガーあんちゃ(まじまじぱーてぃー)の存在です。
彼女が会社を辞めて、ブロガーとして生き生きと自由に活躍しているのを見ると、同じ若い世代の子たちも、それぞれ自分の好きだったことを「思い出して」自分らしく自由に生きて欲しいと思うのですね。
私は、若い子が輝いているのを見るのが好き!!
私のような親世代が、若い子たちの可能性をもっと信頼して、見守ってあげられるようになると良いのになぁ~とマジに思うんです。
残念ながら、私と同世代の方々は、イケてない人が多いので、私だけでも声を上げて、味方になって応援してあげたい!!
- 居場所を作る
そして、自由になりたい!と思って一歩踏み出した人が、気付いてみたら、まわりに味方は居ない、相談する人はいない、居場所がない、ってことが問題になってきます。
そんなとき、同じ思いを共有できる仲間がいる場所があれば…
自然の中で、傷付いた心を癒せれば…
そんな場所を作りたいのです。
もちろん、私の家はどんどん活用してもらったら良いと思うのですが、そういう若い子たちと農家さんをマッチングしたりとか、ゲストハウスをやったりとか、色々出来そうな気がするんですよね~
そんな感じで新ブログ一発目の所信表明?でしたが、次回は私のプロフィール詳細、最近覚悟を決めたことなど、書いていきたいと思います!