ゲスブロガーの母の生涯とは!?①幼少編

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昨日から、プロフィール詳細を書こうとPCを前にするのですが、生きてきた年月もさることながら、おかげさまで、割と山あり谷ありの人生だったので、その膨大な内容を思うと、気が遠くなってしまって、進みません・・・

長くなるかもしれませんが、とりあえず書いていきましょう。

 

[各地を転々とする幼少期]

 

産声を上げたのは、北海道はオホーツク海に面した紋別市というところ。

しかし、銀行員だった父の転勤により、生後9か月でなんと新宿へ。

その当時の記憶はもちろんありませんが、聞いた話によると、銭湯の帰りにおでん屋さんの屋台に寄って、赤ん坊の私はおんぶされた背中で、はんぺんをしゃぶっていたそうな。

現在の新宿からは想像もできませんね。

その後、またまた転勤で埼玉県の志木市、千葉県の船橋市、と引越をします。

その当時は、どちらの場所もまだ田舎で自然溢れる環境でした。

田んぼで、おたまじゃくしやザリガニを採ったり、ポケットにかたつむりをいっぱい入れて帰宅したりと、暗くなるまで外で走り回っている、木登りが得意なお転婆娘でした。

そして、小3の時に北海道の恵庭市に戻ります。

 

[人生最大のショッキングな出来事]

 

小学3年生のある日のこと。

一人っ子の私は、兄弟が欲しくてたまりませんでした。

ことあるごとに、母に妹か弟が欲しいと訴えていました。

すると・・・

 

母「ほんとは、兄弟いるんだよ」

 

私「?!」

一瞬、母の言っている意味がわからず、絶句・・・

 

母「いとこのK子ちゃんとK君と、本当は兄弟なんだよ」

母「ママは本当のママじゃなくて、M子おばちゃんが本当のお母さんなの」

 

がぁぁぁぁ~~~~~ん!!!

 

すごいショックでした。

しかし、子供ながら私は一瞬のうちに考えました。

ここで、泣いたら母が悲しむ!我慢しなきゃ・・・

泣きたい気持ちを抑え、無理やり笑顔を作りました。

 

母「血は繋がってなくても、いままでと何も変わらないからね」

 

 

[壁が出来た瞬間]

 

母は、そう言いましたが、幼い私の心では、事実を受け止めきれませんでした。

今の両親は、本当の親ではない・・・

本当の両親にも、捨てられた・・・

私には親はいないんだと思いました。

そして、私は両親との間に壁を作ってしまったのです。

 

事のいきさつは、こうでした。

 

母は父と結婚してまもなく、婦人科系の病気に罹り、子供が出来ない身体になってしまったそうです。

その時、父と母との間にも色々あったようですが・・・

父は長男だったので、祖父と祖母は、父の弟(私にとっての叔父)夫婦にすでに女の子が生まれていたので、次に出来た子が、また女の子だったら父の元へ渡すように、と命じたようです。

今の時代では考えられないようなことですが、昔は「家」とか「長男だから」とかいう考え方が、まだまだあったのですね。

 

自分も親の立場になってみて、どうしてこんな幼い子供に、こんな重大な事実を伝えたのか?理解に苦しみましたが、きっと母も辛かったのかもしれません。

 

 

ショックを受けたところで、疲れたので

本日は、ここまで。

次回をお楽しみに!!