神社仏閣へ詣でるのはなぜなのか。

今日は、ちょっと固いお話になるかな?

 

今日は鏡開きということで、お正月気分も抜けた頃でしょうか。

皆さんは、初詣には行かれましたか?

私は、お察しの通り(笑)みんなと同じ行動と混雑が嫌いなので、

8日になってから、地元ではなく、ドライブがてら室蘭のお気に入りの場所

天神山不動尊清瀧寺に行って来ました。

因みに、昨年は旧暦のお正月に、地元の虻田神社さんへお詣りしました。

今年も多分、同じようにするのではないかと思います。

 

そもそも今のような初詣をするようになったのはいつからなのでしょうか?

その歴史は意外と浅く、どうやら明治の頃からのようです。

古来の日本では、「年籠り」という風習があって、

家長(一家の長)が新年を平安に暮らすために、大晦日の夜から元旦の朝にかけて

氏神の社に籠り祈願したらしいです。

時は流れ、年籠りは「除夜詣」と「元旦詣」に分かれ、

この「元旦詣」が現在の初詣の原型となったようです。

江戸時代末期には、その年の恵方にある神社に参拝する「恵方詣り」となり、

明治時代には「恵方詣り」は廃れて、有名神社などの好きな所へ詣でる

現在のスタイルになったようです。

鉄道などが発達し、有名神社へ行きやすくなったのが要因とも言われています。

結局、人が動けば経済も動く、ということなのかな、と思います。

 

さて、神社には、統括している神社庁神社本庁というのがあります。

宗教法人です。

言い方は悪いですけど、コンビニの本部とチェーン店みたいな関係です。

法人と名がつくからには、収入、儲けがないと成り立たない訳で。

そうなると、今の初詣は一大イベントであって、一番の掻き入れどきってことです。

そして、想像ですが、コンビニ各店で、自分たちの裁量で安売りが出来ない状況と

同じ不自由さがあるんじゃないのかな・・・

 

ここからは、私の勝手な解釈、個人的な意見です。

 

神社やお寺が、元々建てられている場所って、誰でも感じると思うんですけど

何となく気持ちが良いとか、背筋がピッとするとか、

それが気(エネルギー)の良い場所っていうことです。

 

気分が良い=意識が軽い=周波数が高い=本来の自分に近い

つまり、本来の自分に還りやすい、思い出しやすい場所ってことなんじゃないかと。

だから、本殿には自分の姿が写る鏡がありますよね。

よく言われることですが、

「かがみ」から「が(我)」を取ると「かみ(神)」になる。

自我(思考)を無くし、無になって本来の自分になる場所。

 

だから、お百度参りとかは、一心不乱にそれをやることによって

思考が止められるってことなんだと思うんですよね。

舞を舞ったり、唄を歌ったり、楽器を奏でたりするのも、

それを好きな人達がやることで、やっぱり何も考えずに入り込んでいるのだと思うし

お祭りも、みんなで楽しく飲んだり食べたり騒いだりすることで、

その時は、嫌な事も悲しい事も忘れて、無になったんじゃないのかな。

 

きっと、神社仏閣は、

それぞれの人が必要なときに、自分を思い出しに行く場所だったり

地域の人達の、大事な節目に集まる場所だったんだと思うんですよね。

だから、今の初詣しか行かないとか、お祭りしか行かないというのも

どうなんだろう?と思うし、

商業的な臭いも感じてしまうのは、私が捻くれているからなのかな?

 

要するに何が言いたいかというと、

いつも、同じようなことになってしまうのだけど、

みんながやっているからって、何の疑問もなく当たり前にやってることって

いっぱいあるんじゃないの?ってことなんです。

 

普段何も考えずにやっていることの、本来持つ意味を考えたことがありますか?

 

 

写真は、一昨年の春分に、季節外れの大雪が降った後、

地元の虻田神社さんの鳥居に現れた白蛇様。

これが、二度目だったのですが、こういう説明出来ない不思議な現象はあるんです。

虻田神社さんは、本当に気の良いエネルギースポットで、

宮司様、奥様、禰宜様、みなさん本当に優しくて、素晴らしい方々なんです。

洞爺湖にいらした時は、是非、ご挨拶されると良いと思いますよ。 


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