隠したかったスピな私。

昨日は、お散歩をサボってしまったので、今日が今年初の湖です。

今日はお日様が出ていて、人気のない湖畔は、少し白く煙っていて穏やかでした。
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さてさて

 

今日はもしかしたら、一番書くのに抵抗感がある記事かもしれません。

いつも、本当の自分をさらせ~とか言ってるわりに、実は、隠してました!!

 

私、めっちゃスピリチュアルなんです・・・

 

え?知ってた??

 

多分、私と割と付き合いの深い方は、色んなエピソードも知っていると思うんですけど、

あまり、表には出したくなかったんですよね~~

 

だって、なんか気持ち悪くてイタい人って思われるでしょ?

 

て、言うのは、私がスピリチュアルに関わる人たちを、そう思っているからなんですよね。

だって、自分の汚い部分(汚くはないんだけどね)を隠して、

自分を綺麗にみせようとしてたり、偽ってる人が多いから・・・

私がそう感じる人達と、同類に思われるのが嫌だったんです。

 

でもね。

 

別にもう、どう思われてもいいやって、思いたい人には思わせて

言いたい人には、言わせておけばいいじゃん!って開き直れたんですよね。

だって、私にとっては、全て本当にあった事実だし、真実だから。

それで、キモイって言って離れていく人は、所詮その程度の付き合いなんですよね。

 

私は、物心ついた時から「無」ということはどういうことなんだろう?と

考えている子でした。

今自分のいる世界が無くなったらどうなるんだろう?

宇宙が無くなったらどうなるんだろう?

その「無い」っていうことも無くなったら・・・と堂々巡りになって

訳が分からなくなって「あぁぁぁぁ~~~~~」てなる(笑)

そして、同じころから、死後の世界にも興味があって

「人は死んだらどうなるんだろう???」って。

成人する頃には、スウェーデンボルグの霊界日誌なんて本を読んだり、

丹波哲郎さんの大霊界はもちろんだし

ブームだった江原啓之さんのオーラの泉も大好きでした。

 

そんな私が、ガッツリ精神世界にはまったキッカケになったのは

2010年位だったでしょうか。

お店の経営上の問題で、雇っていた人にも全て辞めてもらい、

私一人で全ての製造をやることになって、卸の仕事もしていたので、

どんな体調でも、休んで穴を空けることも出来ないような状況でした。

子供たちは、思春期で難しい年頃、受験の問題もありました。

少し前から父も癌で手術や入院を繰り返し(母はすでに他界していました)

全てを背負った私の身体は、だいぶ前から悲鳴を上げていて、

2週間ごとに膝に注射を打っていたし、謎の高熱を出したり、

腰の激しい痛みで夜間救急に行ったり、指にも痺れが出てたり

頸椎、股関節も、ありとあらゆる場所に痛みが出ていました。

 

しばらくして、父が亡くなったときも、お葬式の合間に夜中に卸のケーキを作りに行ったり

忙しすぎて、悲しむ暇もなく、ちゃんと泣くことも出来なかったのです。

そして、四十九日が過ぎた頃、とうとう私は精神的に壊れてしまいました。

毎日泣き暮らし、眠れず、食べられない日々・・・

「このままいけば、死ねるかな」と思っていました。

でも、このとき気付いたのは、人って強くて、なかなか死なないものなんだな!てことでした。

 

それでも、どこかまともな部分が残っていて、病院に行ってもダメなのはわかっていたし

子供を残して、まだ死ねないとも思いました。

 

そんなとき、ふと目に入って来た一冊の本が

雲 黒齋さんの「あの世に聞いたこの世のしくみ」でした。

 

この本に出会って、目の前の雲が晴れるように救われました。

そこから、スピリチュアルな情報を貪るようにインプットしました。

まるで、川の流れにのるように、私の人生が一気に流れ始めました。

その時、その時の直感に従っているうちに、

愛犬のりゅう君に出会い、店を閉め、

札幌から洞爺に移住することにまでなっていくのですが、

そこにまつわるエピソードは、おいおい書いていきたいと思います。

 

洞爺に移住した私は、何もしない、ということをやっと出来るようなったわけですが、

それでも、何故か友人が洞爺でイベントをしてくれたりすることで、

必要な人を繋げてくれたり、必要な場所へ導いてくれたりしました。

 

そして、洞爺湖という場所は、有数のパワースポットということもあるのか

そこにずっと身を置き、素の自分になっていく私の直感は、どんどん研ぎ澄まされていったのです。

 

それまで、自分でも気付かなかった能力?があることもわかって来ました。

今まで、集団の中で生きづらかったのは、共感能力があったからだとか、

それは、私にとっては普通のことなんだけど、みんな一緒ではないんだということ。

あと、その人の守護霊?ガイド?と呼ばれる存在が、私を通して何かを伝えるとか(怪しいよね?)

そんなときは、私の感情とは全く別に、涙が出たり、号泣したりします。

前世?とか目に見えない存在なんかがビジョンというか、

イメージでわかる(言葉で説明するのは難しい!)ときもあります。

 

信じられない!という人は、スルーしてもらって良いのですが、

でも、これは、私の個性であって、才能であって、天から与えられたものだから、

ちゃんと自分の為、人の為に活かさないといけないんだな、ということなんだし

それをやらないと、この先、天のサポートも受けられないんだと降参しました。

 

私が、人生の中で、けして平坦ではない様々な経験をさせられたのも、

スピリチュアルな体験、経験、知識も必要だったから与えられたのだと思うのです。

私が、絶望していたときに、スピリチュアルが救いになったように、

他の誰かの救いになるのかもしれません。

人は経験、体験を伴ったものにしか共感出来ないものだから、

私のやるべきことは、自分の経験をシェアすることなんじゃないかと思うのです。

 

これからの時代は、目に見えない世界が当たり前になってくると思うのです。

Wifiとか、目に見えないけど、みんな当然あるものだと思っているでしょ?

物質も、人の意識も、エネルギー、波動、粒子で出来てるからね。

どんな学問も、突き詰めていくと、どうやったって説明の出来ない領域にいっちゃうし。

 

スピリチュアルな知識を持ちつつ、現実をしっかり生きる!

 

ということで、時々不思議な話も書きますよ~