誰が作ったものなのか、誰に作ったものなのか。
札幌では、50年ぶりの大雪で、普段車で30分のところが4時間位かかるらしいです。
私の住む洞爺は、ほとんど積雪が無いし、そもそも車も人も少ないので渋滞やストレスとは無縁です。
都会で消耗する人々は、かわいそうですね。
いったいどちらが不便なのか・・・?
さて、クリスマスも終わり、ケーキ屋さんもホッとしているところでしょうか。
私も20代前半は、洋菓子業界で修業していました。
その頃は、好きな仕事に就けて、やる気満々、情熱に満ち溢れていましたから、
誰よりも早く店に行き、一番最後に店を出る感じでした。
自分の仕事(下っ端の仕事)を少しでも早く終わらせ、先輩の仕事を手伝い、見て盗むために。
仕事が終わってから、居残り練習をしてスキルアップするために。
ケーキ屋さんて、なんか可愛い!とか見えるかもしれませんけど、女性にとってはかなり過酷な職場です。
20~30キロある粉や砂糖の袋を持ち運んだり、大量のカスタードを炊いたり、クリームを立てたり。
床は水を流せるようにコンクリートで冷えるし、そこでの長時間の立ち仕事は、身体にも良くはないですよね。
それでも、毎日意地悪をする先輩(男)に泣かされながら、同期で入った女子がみんな退職していくなか、歯を食いしばって頑張りました。
そして、細工物のコンクールなんかにも出品して、入賞するようになり、男性優位の職人の世界で、女性で初めて中間管理職にまでなりました。
初めてコンクールに出品して、入賞した作品。
大分年月が経っているので、現在はもっとレベルアップしていると思うけど。
これ、全部食べられる材料で作ります。
そして、こういったコンクールに出品するために作業する時間は、相当時間がかかるので、残業手当は出ません。
追い込みの頃になると、寝ないで製作したりします。
これは、クリスマスの特別バージョンケーキ。
こういったコンクールなどで入賞することは、ステータスとなり、「スゴイ人」になれます。
有名なパティシエが作ったケーキ、という付加価値、ブランド力がつきます。
(有名になったパティシエのお店では、その本人はほとんど作っていませんけどね!)
だけど・・・
それって、味と関係ないじゃん!!
細工が精密に、綺麗に作れるからって、美味しいものを作る舌と情熱を持っている訳じゃない。
もうひとつ、私が理不尽に思ったことがあります。
それは、この業界に限らず、どんな仕事をしていても感じることだと思うのですが、
人によって生産性が違うということ。
製品の出来栄えが違うということ。
つまり、同じ時間の中で、仕事が出来る人はたくさんの製品を作るし、出来栄えも良いのですが、
出来ない人は、時間内に仕事を終わらすことが出来ないで、残業したり、出来上がった製品もいまいちだったりして、結局、仕事が出来る人が尻拭いすることになったり。
もっと酷いと、失敗を繰り返して、材料を大量に無駄にして損害を与えることもあります。
なのに!
なのに!
給料一緒!!!
やりがい無くすよね・・・
そして、働いていた店が拡大するために、工場を新設したりして、ますますお客様の顔も見えなくなり、どんどん自分は歯車のひとつなんだ、とも感じて、理想とかけ離れていく現実。
かといって自分で独立するほどの資金力もなく(職人の給料って驚くほど安い!)
まして、借金してまでやる勇気も情熱もなく
色んな絶望感を抱えながら、この業界を離れてしまいました。
年月は流れ
結婚、出産、離婚を経験し
再婚することになったとき
本意ではなかったけど、何故か夫婦でケーキ屋さんを開業することに。
旦那さんは、もともと建設業界の管理職で、まるっきりのど素人。
私が出来ない経理とか、経営に関しては得意分野だからやってくれたけど、自分の知らないことに関しては、新たに勉強することもなく、教えようとすると逆切れする始末で、私におんぶにだっこでした。
そして、お店の将来も、家族の生活も、私の肩にズシリとのしかかってしまったのです。
お店の利益を第一に考えると、売れるもの、利益の出やすいもの、そして作り手が私だけですから、生産性の上がるもの、を考えないといけません。
ひとつの商品を生み出すって、どんなものにするかアイディアを絞り出して、レシピを考えて、イメージ通りの味・形を再現するために試作を繰り返して・・・かなりの労力、エネルギーを使います。
そうやって生み出した商品を、価格競争の中で、なるべく安く売る訳です。
それを買って下さるお客様は、確かに有り難いのですが、食べログやブログなどで、好き勝手に批評する人もいます。
10年間続けて、プライベートでも様々なことがありましたが、
本来好きだったはずの「お菓子を作る」ということが、辛く苦しいものになっていました。
そして私は、店を閉め、洞爺に移住することを決めました(だいぶはしょった!)
やりつくして燃え尽きてしまった私は、お菓子が作れなくなってしまいました。
料理を作ることも、かなり嫌でした。
それでも、唯一頑張れたのは、主催や共催をしたリトリートやイベントでのご飯やお弁当を作ること。
要するに、誰が作って、誰が食べるのか、がわかっている関係なんです。
「食べる人の事を思いながら心を込めて作る。」ということです。
商売やっているときにも、
同じレシピでも作り手によって味が全然違うということがわかっていたので、
私が作ったレシピを公開することも平気でした。
それと、高い(質の良い)原材料を使って美味しいのは当たり前で、いかに普通の材料で美味しく出来るのかが、腕の見せ所だということ。
(メディアの取材を受ける時は、こんなすごい材料を使っている!という謳い文句を欲しがられたけど 笑)
つまり、作り手、「誰が作ったのか」が大切だということです。
わかりやすいのが、アーティストかな。
テクニックがどんなに素晴らしいからといって売れるわけではないですよね。
例えば、今時、歌を上手に唄える人なんか五万といるけど、伝わる歌、人の心を打つ歌を唄える人はそんなにいない。
綺麗に整った絵を描ける人はたくさんいるけど、感動させられる人はそういない。
(有名だからといって、感動した!とか言っちゃう人もいるけどね)
あと、エステティシャンとか。
太っていて不潔な感じのする人に、綺麗にしますよって言われても、説得力ないし
やっぱりスタイルの良い美しい人を選びたいもんね。
何が言いたいかというと、料理でもお菓子でも、誰が作ったものなのか?ということが、
もっと大事にされても良いんじゃないかな?って思うんです。
現在の大量生産・大量消費の経済システムでは、どうしても利益重視になっちゃうから
難しいんだろうけど・・・
食べる人、作る人、お互いに認識出来ると、もっと心を込めたり、有り難かったりするんじゃないかな。
ものづくり全般にいえることだと思うんだけど
作り手が誰なのか、どんな心意気で作っているのか、って大切だと思うんです。
特に食べ物は、自分の身体の中に入れるものだし、作り手のエネルギーがダイレクトに伝わるんじゃないかな。
子供にとって、母親の愛情がこもったご飯に勝るものがないように!