2016年最後の新月に振り返る一年。

2016年という年が、まもなく終わろうとしています。

この年は、今までになく激動だった人が多かったのではないでしょうか。

このテーマで、昨日ブログを書こうとしていたのだけど、何から書いたら良いのか

頭の中で考えていたら、どんどん書けなくなってしまったので、

まとまりがなくなると思うけど、とりあえず、思いつくまま書いていこうと思います。

 

まず、一番に実感していること。

 

以前より、太陽や月、星まわりを意識するようになりました。

facebookのフィードでホロスコープを読む人達の記事を目にする機会が多く、

それらを読むようになって、それぞれの解釈はあっても、大筋は一貫していることがわかり

自分の体験していること、感じていることとも一致していると思ったんです。

潮の満ち引きや、動植物たちの行動が、多大に影響を受けていることを思えば

その一部である人だって影響を受けているのは当然のことです。

自然と繋がっていた古代の人達も、天体の動きを読んで生活していましたしね。

だから、高次のなんちゃらのメッセージを降ろします~なんて言ってる人より

(中には、もちろん素晴らしい人もいますよ)よっぽど信頼できると、私は思っていて。

そういう宇宙的な動きによると、今年は大きな転換点で、古い価値観だったり、

社会だったり、人間関係から脱却する時期だったらしく、

引越、転職、離婚などを経験する人も多かったのではないかと思います。

 

私は、と言うと

 

流行を先取りするタイプなので、昨年、離婚をしまして。(笑)

正式に手続きが終わったのは10月でしたが、旦那さんが出て行ったのが8月。

ほぼ時を同じくして、札幌に友人4人と共有スペースとするための部屋を借りました。

あと、経済的に困窮していた友人に、家賃をどんどん滞納するくらいならうちに住めば良いじゃん!

と言って、居候させてあげることに。

私は、職には就いて無かったけど、まだ貯金が少々ありました。

札幌に部屋を借りる際、他の友人たちはお金が無かったので、初期費用は全額私が出しました。

確か30万くらいかかったかな。

私は、お金は、その時ある人が出せばいいじゃん!と思っていたし、

みんながそこで、ワークショップやったり、セッションやったり、セミナーやったり

自分のやりたいことを協力しあってやれたらいいな、と思ったんです。

 

でも、早々に一人が感情的なもつれ?から離脱し、その時のショックでもう一人も離脱してしまいました。

結局、二人になってしまったのですが、今年の3月くらいまで私が一人で家賃を負担していました。

その家賃をペイ出来るほどの収入もなく、経済的にも苦しくなって、今年の10月にその部屋を手放すことにしました。

一人の友人は、かかった費用を毎月少しずつ返してくれていますが、

部屋を撤去するときの荷物の運び出し、掃除も、一人でやっているときは、

さすがに「私はいったい、何をしているんだろう?」と何だか悲しくなりました。

 

そして、居候していた友人。

彼女は所持金も無かったし、借金も抱えていたので、引っ越す時の費用も出してあげたし、

家賃も、食費ももらっていませんでした。

うちに居る間に、生活を立て直せたら、と思ったんですけど…

1年近く経って、状況は何も変わりませんでした。

お互い大人だし、私は一切干渉せず、何も言いませんでしたが、

果たして私のやっていることは、彼女のためになっているのだろうか?

彼女の自立の妨げになっているのではないだろうか?  

と思い始め、私もいつまでも、お金が続くわけでもなく

「このまま、うちに居るのなら、いくらかお金を入れるか、別の道をとるのか、考えてもらえないかな?」と伝えました。

結局、彼女は出ていくことになったけど、

直後にFBに「洞爺の人達には挨拶もなしでごめんなさい。でも、礼儀とかしきたりとか、くそくらえです」

と投稿しているのを見て、とても悲しくなりました。

 

今まで、こういった出来事も当事者の人たちが傷付くと思って、公言してこなかったけど、

吐き出さない限り、私の中で消化仕切れない出来事だと思いました。

だけど、これは誰が悪い訳でもなく、ただそういう事実があった、というだけで

何を感じるのかは、それぞれの問題なんだと思います。

 

私は、人に与えなければ、尽くさなければ認められない、と思っている人間だったので

私がしたくてしたことで、与えさせてもらったんだ、と今は思うし

楽しい事もいっぱい共有したし、うちに居候してもらって愛犬の面倒をみてもらったおかげで、

私は安心して行きたい所に行くこともできました。

そういう面では、たくさん感謝もしているのです。

 

ただこれからは、それぞれの居心地の良い場所で自分らしく生きる、だけのこと。

この経験を踏まえて、この先どう生きたいのか?ということなんだと思うし

受け入れて「赦す」という事を、試されているのだとも思います。

 

そして、私はウン十年ぶりに、ひとり暮らしになりました。

 

しばらくすると、誰かと暮らしているときは、あんなにひとりの時間が欲しいと思っていたのに、

ものすごい孤独感と寂しさに襲われるようになりました。

考えてみれば、私は、母親に本当の親子じゃないとカミングアウトされた日から、

家庭は自分の居場所じゃないと思っていたし、

いわれのない苛めを受ける学校も居場所ではないと思っていました。

そのころから、ずっと孤独感や寂しさを抱えていたのでしょう。

でも、その感情を感じるのは辛いから、寂しくならないように色んな所へ出かけたり、

仕事に打ち込んだり、恋愛体質だったりしたのだと思います。

 

このどうしようもない孤独感と寂しさを抱えたまま、前には進めないのだとわかりました。

そして、この感情を感じ切るには、洞爺は最適な場所でした。

洞爺は不思議な場所で、「別に何もしなくてもいいよね~~」と思わされる

ある意味、やる気を失わせる危険な?場所なんです。

どっちにしても、繁華街も無ければ、人も少ないし、寂しさを紛らわすことなんか出来ないですしね。

 

自分の孤独感や寂しさと、とことん向き合い感じ切ることは、想像以上に苦しいことでした。

何度も死にたくなりました。

だけど、本当に辛くなったときは、見計らったように、何故か友人が連絡をくれるのです。

本当に大変なときに寄り添ってくれる人が、いてくれることに気が付きました。

そして、いつのまにか、あんなに辛かった感情が急にフッと軽くなる瞬間がありました。

 

私は、ひとりじゃない!

 

私の感情は、私の中にあるもので、私以外が感じることは出来ないのです。

ずっと感じないように、見ないないようにしていたもの、それを見つけるのも自分以外にはいないのです。

外側に答えを求めても、一生答えは見つからないし、誰かに助けてもらうことも出来ません。

長い間、生きている間に奥底に溜めてしまってものを、出し切って(感情の解放)

持っている意識を軽くしなければ、新しい世界は開けないのだと思います。

意識が重い=周波数が荒い 

意識が軽い=周波数が細かい    と言う事です。  

 

今年の下半期は、そんなふうに悶々と過ごしましたが

やっと誰に依存することもなく、「自分」を生きられるような気がしています。

新しい年は、キラキラとした自分を表現していこう!と新月に誓いたいと思います。 


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