信頼することで得られるもの
今朝の湖。
「お散歩は瞑想である」と、どこかで読んだ気がしますが、
それは多分本当で、湖畔を散歩していると、インスピレーションが降りてきたり、色んな気付きを得ることが多いです。
いきなりですが
大切な人に信頼されることが、自己肯定、自信につながる
逆に
大切な人の信頼を得られないことは、自己否定、自己卑下となる
と思ったので、自分の経験に基づいて、このことについて書いていきたいと思います。
[親に信頼されない]
私の実家は、父が銀行員だったこともあり、周囲の評判をとても気にする家庭でした。
特に母は、自分の理想に私をあてはめたがったので、私が意に沿わない行動をすると、ひどく私を責めました。
幼少時から、それを繰り返すうちに、何かを始める前から
「どうせ、あんたは~だから」
「~できるわけがない」
と言われるようになりました。
そして、年ごろになると、男の子といやらしいことをする、という前提で、超早い門限を決められたり(高校生なのに17時半!)、交換日記を盗み読みされたり、してもいないことをしたと決めつけられたり…
厳しくされればされるほど、私は自分の行動を信用してもらえないんだということを、強く実感することになりました。
一番身近な人に、何をやっても、悪い結果しか予想してもらえないということは、自分の存在を否定されてると思ってしまっても仕方のないことですよね。
[パートナーを信頼できない]
そんなふうに出来上がってしまった、自分に自信が持てない私。
それは、恋愛関係において、どのように影響してしまうのでしょう。
ありのままの自分では、悪い結果しか生まないと刷り込まれていますから、
・外見を美しくする
・相手に尽くす
・自分を殺して相手に合わせる
という「努力」をするのですが、それは本来の自分では無い訳です。
虚構の自分が愛されたとしても、それは本当の自分では無いのですから、常に不安がつきまといます。
いつも相手を失うのではないかと怖れていて、相手を束縛してみたり、常に行動を監視してみたり… パートナーを信じられない。
自分が本当の自分を認めていない状態で、相手の愛を信じたくて、いくら身体を重ねてみても、結局、心の不安や寂しさは埋められず、虚しさだけが残ります。
こうなると結果は想像できますよね。(自分で書いてて胸が痛くなってきた…)
結局、ありのままの自分を信じられないということは、相手をも信じられなくなるということです。
[自分をオープンにする]
では、誰かに信頼してもらう為には、どうしたら良いのでしょう?
これは、あくまでも私の個人的な考えですけど、
自分をさらけだす!
ことだと思っています。
あなたは、初対面の知らない人に、いきなり「私を信用して下さい!」と言われて信用できますか?
「自分はこうこうこういう人間です」と自己紹介されて、初めて相手を信用し始めますよね。
自分をオープンにすればするほど、相手も安心して心を開いてくれます。
例えば、娘の あんちゃ(http://www.mazimazi-party.com./)がたくさんの人に受け入れられているのも、普通の女の子がオープンにしないようなことをさらけだしているから、読み手が安心して信頼を寄せてくれるのだと思います。
そうして多くの人たちが認めてくれることによって、また自分自身を認めることができ自信にもつながっていくのでしょう。
[まとめ]
自分の身近にいる大切な人、親だったり、子供だったり、パートナーだったり、友人だったり…
そういう人に、信頼されないことほど、悲しく寂しい事はありません。
自分の存在価値すら無くなってしまいます。
そして、目の前の大切な人に信頼して欲しいのであれば、まずは自分がオープンになること。
こんなこと言ったら嫌われてしまう!と思う事が、すでに相手を信頼していないことなります。
あなたの事を信頼してくれている人ならば、きっと受け入れて理解してくれます。
そうじゃなかったとしたならば、それだけの関係だったということです。
例え親子であったとしても、そういう関係が築けないのであれば、今は距離をおいても良いのかもしれません。
自分をさらけだすのは、勇気のいることですが、それによって得る信頼は、間違いなく自分自身であることへの自信と安心へとつながることでしょう。