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ゲスブロガーの母の生涯とは!?②学生編

前回の記事はこちら

 

lakotoya.hatenablog.com

 前回から間が空いてしまいました。

記事を書いていると、当時の感情を追体験するので、しょっぱなから筆が進みません。

しかも、まだ小3までしかいってないし!

気を取り直して、この先はサクサクと書いていくつもり…

 

 

[居場所がない!]

 

恵庭市には、中一の途中までいたのですが、小学校の高学年の時には、「いじめ」もありました。

自分では、普通にしているつもりなんですが、そこそこ勉強が出来たり、ピアノも弾けたり、走るのも速くリレーの選手で、絵を描いても賞をもらったり、男子にもちょっぴりモテたりというのが、面白くない女子がいるんですね。

クラスの中心的存在の女子二人に目の敵にされ、誰にも口をきいてもらえなかったり、いわれのない陰口をたたかれたりで、学校には私の居場所はありませんでした。

もちろん、家庭でも本当の親だと思っていない母に、相談できるはずもなく、孤独感でいっぱいの私は、このとき初めて「死」を意識します。

実際に剃刀を手首に当てたこともあります。

このときは、数少ない仲良しの友人がいてくれたおかげで、何とかやっていけました。

 

 

[僻地への転勤]

 

そして、中一の途中で、父は羅臼町に転勤になります。

羅臼町知床半島の付け根に位置する小さな街で、第一級の僻地認定されていて、3年の期限付きでした。

ちょうど高校受験と重なってしまう私は、当時札幌に住んでいた本当の両親(叔父夫婦)の元へ預けられました。

しかし、そこの家族からも疎外感を感じたり、厳格な両親から逃れられたこととで、ちょっと道を逸れそうになったんですね(笑)

で、結局、羅臼町の両親の元へ引き戻されてしまいました!

 

いやいや行った羅臼町なんですが、ここでの暮らしは思いのほか楽しかったんです。

まぁ、小さな町なので、みんなが親戚みたいな、噂はアッと言う間に拡がるとか、田舎特有のデメリットもありましたが、浜の人たちは、口は悪いけどみんな気の良い人ばかりで、今でも大好きな場所です。

個人的には、知床でメインの宇登呂町、斜里町より、断然良いと思っています。

 

 

[羅臼から砂川へ]

 

楽しい羅臼町での生活も、三年の期限がやって来て、またまた転校です。

高1の夏休み後、砂川市への転勤が決まりました。

そのころ付き合っていた彼氏もいて、号泣しながら転校しました。

ちなみに、それ以前にも付き合っていた彼氏は、みんな私の転校により、遠距離になって自然消滅という残念な結果となっております(笑)

 

さて、高校の転校は編入試験があります。

羅臼町は僻地なので、恐ろしく勉強は遅れていて、砂川の高校での編入試験は「入学試験の結果でOKだから、一応形式だから」とは言われましたが、数学とか多分0点だったと思われます!

 

それよりも、中学・高校あたりでの転校って、女子にとっては大変だというのは想像が出来ると思います。

すでに仲良しグループが出来ている中に、馴染んでいくのは本当に大変!!

私は転校を繰り返す中で、将来は絶対転勤の無い人と結婚するぞ!と固く心に誓ったのでした。

 

羅臼町での楽しい生活から一転、砂川の高校生活は本当につまらなかった!

自分の行きたい高校を選べないとことを、本当に恨みました。

 

 

[大学受験]

 

高校生活も終盤になって、進路を決めなければいけない時期です。

私は、小学生の頃から、お菓子作りや料理が好きでした。

だから、調理師の専門学校へ行きたかったのです。(その当時、まだ札幌には製菓の専門学校はありませんでしたし、東京への進学は絶対許してもらえませんでした。)

私の希望は伝えてみましたが、両親の答えは

 

「短大ぐらいは出ておきなさい」でした。

 

銀行の支店長である父のまわりの人たちは、みんな高学歴でした。

家が貧乏で大学に行けなかった父は、学歴へのコンプレックスがありましたし、母は

世間体を気にしていました。

私は、行きたくもない大学へ行って勉強する意味を見出せませんでしたが、自分の好きに出来るわけもなく、そこそこ成績の良かった私は、受験勉強をしないで済む、推薦で楽に行ける短大を選びました。

とにかく、親元を離れよう!と思ったのです。

 

 

[短大での生活]

 

晴れて札幌近郊の短大に入学した私は、念願のひとり暮らしを始めました。

厳しかった母は、学生寮にいれたかったのですが、無理を言ってごり押ししたので、

仕送りは最低限でした。

なので、アルバイトは必須でしたし、私にはもうひとつ目的があったので、ほとんど大学は代返を頼み、必死に働きました。

お金を貯めて、専門学校に入り直そうと思っていたのです。

 

親元から離れて、自由の翼を手に入れた私は、当時流行っていたディスコにも通いましたし、バイト先で彼氏も出来ました。

通っていた短大の学部は、教職課程を取るのが必須だったので、講義もびっしり入っていましたし、教育実習、病院実習もあり、朝から晩まで、本当に忙しかったです(笑)

 

 

[就職活動]

 

短大では、私の学部は全員が教員試験を受けなければならなかったのですが、教員になる気がない私は、形式だけ受けて、案の定落ちました。

私が受けた養護教諭(保健室の先生)は倍率が高いので、勉強していたって難関なのです。なので、ほとんどの人が、普通の企業への就職活動を始めます。

私はと言えば、バイトで貯めた金額では、専門学校への入学は無理だったので、いきなり現場へ飛び込もうと決めました。

その頃、名寄市にいた両親には、就職なんて何とでもなるから、帰って来いと言われましたが、そんなのは、まっぴらごめんだ!と思いました。

 

時を同じくして、私が在学中に札幌に開校した菓子専門学校に通ってた、バイト先で知り合った彼氏は、東京の有名菓子店への就職が決まりました。

なので、何となく私もケーキ屋さんで働こうかな~と思い(不純な動機!)情報誌で見つけた、札幌市内の某有名菓子店へ面接へ行くことにしました。

 

いざ面接へ行ってみると、すごい履歴書の数!!

専門学校も出ていない、何の経験もない私は圧倒的に不利でした。

そこで働きたい!という情熱だけは精一杯伝えましたが、半ばあきらめていました。

 

数日後…

 

合格の連絡が来ました!

こうして、私のパティシエとしてのキャリアが始まるのです。

 

つづく…

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