男は女に降参した方がうまくいく。

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私は、ほとんどTVを観ないので、いつもBGM的にYoutubeを流しているのですが、

今日は、たまたま米津玄師君のMVを観て、ビビッと来まして

その曲を聴きながら、洗物をしていたら、インスピレーションが湧いてきたので

今、こうしてPCに向かっています。

 

一般的には、話しづらいことを書きます。

 

世間では、セ★クスについて語ることは、恥ずかしい事、隠したい事、とされていますが

本来、命を産み出す尊い行為であって、汚らわしい行為ではありません。

 

そして、この世界に、わざわざ一つだったものを、男と女に分離させてしまった意味を考えると、

失ってしまった片割れを見つけ出したときの喜び

分離していたものが、統合してひとつになる喜び

不完全だったものが、完全になる喜び   を感じるためだったのではないかと。

 

そして、ここからが本題。

 

女は元々お宮(子宮)、そこに通じる参道(産道)を持っています。

男は、どんなに偉そうにしていたって、一人残らずそこから産まれている訳です。

だから、男が大元に還る、自分に還る、源(ソース)からエネルギーをもらうには

参道を通って、お宮に参る、つまり女と繋がるしか方法がないのです。

 

しかし、ただ繋がればいいというものではありません。

 

女はオーガズム、エクスタシーを感じて、我を忘れることで宇宙(大元)と繋がります。

つまり、男は女を悦ばせないと、宇宙(大元)のエネルギーをもらえないということです。

自分本位の、性欲を処理するだけの、射精するだけのセ★クスをしていては

いつまでたっても満たされないということです。

射精してスッキリした、ということだけのこと。

我慢していたオシッコをしたときと同じです。

痒いところを、掻いたときの快感と一緒です、多分。(男じゃないので分かりません 笑)

根本のところでは満たされていません。

 

男のモチベーションが、女にモテたいというのも、無意識にエネルギーを求めているからですね。

エネルギーをくれる相手を求めて渡り歩くけど、いつまでたっても満たされない・・・

そりゃそうです、いつも自分本位のセ★クスしてたらね!

相手をいくら変えても、だめだよね、自分が問題なんだから。

 

ウケる!

 

それに引き換え、女は自分で自分を満たす事が出来ます。

相手がいなくても、ひとりエッチで自分を愛することで、自家発電が出来ます。

だから、ひとりエッチも恥ずかしいことではありません。

自分で自分を愛してあげる尊い行為です。

男のひとりエッチは、ただのエネルギーの消耗だけどね!可哀想だけど(笑)

 

多分ですけど、男と女が本当のセ★クスをするようになったら、

お互いに満たされて、色んな欠乏感が無くなって、

世の中のほとんどの争い事が無くなるような気がします。

 

私が今まで経験してきたことから言っても、

男って、どこかで女の上に立ちたいとか、負けたくないとか、

少なからずあるような気がするんですけど

 

正直言って、女にはかないませんよ!キリッ!

 

こうと覚悟を決めたときの女は、本当に強いです。

男は、出産の痛みには耐えられなくて、死んじゃうとか言いますしね。

 

惚れた女を守りたい、家族を守りたい、養いたい、というのは

男としての役割分担で、良いと思うんです。

でも、どこかで女にはかなわない、と降参して下さい。

どんなに、格好つけたって、女の股から産まれたんですから!

まぁ、表向き、あなたを起ててくれて、うまく掌でころがしてくれるような

賢い女を見つけて下さい(笑)

 

男の習性として、上昇志向があって、名誉欲、権力欲があるのは仕方のないことですが、

それを、いくら求めても終わりがない、ということです。

あなたを愛してくれる女を喜ばすことが、あなたを一番満たす事なんだと、気付いて下さい。

 

女はお花と一緒です。

毎日、お水をあげて、光をあげて、時々肥料もあげて

手をかけてあげれば、どんどん美しく咲き誇ります。

(過剰に手をかけすぎれば、根腐れしますが 笑)

知らんぷりして放っておけば、干からびて枯れてしまします。

 

そして、一生懸命世話をしたお花は、秋になって

たくさんの実をつけます。

その実が地面に落ち、翌年には、もっと多くの花を咲かせます。

そうやって、あなたをどんどん豊かにしてくれるでしょう。

 

これが、豊かになる法則です。

 

男は、弱みを見せたら負け!とか変なプライド持ってますけど、

女は、外では虚勢を張っていても、自分の前だけでは弱みを見せてくれたり

甘えてくれるのが嬉しかったりします。(但し、好きな男に対してのみ 笑)

女の愛は、男が思っているより、ずっとずっと大きくて深いものなのです。

だから、男も女も、本音をさらけだして、

お互いに満たされるようなセ★クスが出来たら良いな、と思います。

 

そういう相手が不在の私が言っても、説得力に欠けるけどね!(T_T)

 

 

やっぱり、本当は好きだったんだよね。

ここ数日、めっちゃ冷え込んでいます(@_@)

なので、お散歩もさぼっちゃったりして、おうちで過ごしています。

昨日は満月で、一週間位前から、頭痛、腰痛、肩痛など体調が悪かったんですが、

やっと今日は快調に動けるようになって、午前中からずっとキッチンに立っていました。

 

お店を辞めて、洞爺に移住してから、本当にお菓子を作りたくなくて

人気のあったプリンは、リクエストされることも多かったのだけど

「絶対にいやっ!!」と拒否していました。

でも、昨年の夏から、ちょっとしたきっかけで作るようになり

今でも、とりかかるまでは面倒なんだけど、やり始めると夢中になってる自分に気付くんです。

 

同じような境遇の友人と話してて、思いが一致したのですが

「私達、やっぱり料理が好きなんだね!」って。

大好きで、大事にしたいものだから、

価格競争に巻き込まれて、不当に安い値段で扱われたり

忙し過ぎて、本来の目的や志を見失ったり

そういうことに傷付いて、嫌になっちゃったのかもしれない。

 

今、自由に作れるような環境になって、

本当に私が作ったものを食べたい!と思ってくれる人に食べてもらえることは

やっぱり嬉しいことだし、楽しいことなんだと思ったのでした。

 

美味しいお菓子と、珈琲でホッとする時間は、しあわせな気持ちにさせてくれるよね♡

 

今日は、お菓子作って、伊達まで買い物にも行って、夜は作戦会議(笑)をしてきて

帰りが遅かったので、じっくりブログを書く時間がなくなってしまいました!

なので、短いですがこの辺で(^
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当たり前なことなんて、ひとつもないんだよ。

いつも、何も考えずに当たり前だと思ってやっていること、

常識でしょ!と思ってやっていることに、ちょっと疑問を持ってみたら?

みたいなことを言っていますが

 

同じようなことでも、今日は別の視点から書いてみようと思います。

 

 

私の父は、銀行員だったのですが

私が幼い頃は、まだヒラだったので、日曜日には私を自転車の後ろに乗せて

界隈を走ってくれたり、動物園に連れて行ってくれたり、

相撲を取ってくれたりして(いつも負けてくれないので、私が泣くはめになる 笑)

そんな優しい父のことが大好きでした。

 

けれども、私が成長して年頃になるのと比例して、父も偉くなっていき

接待で、夜は飲んで遅くなり、休みはゴルフ、と顔を合わせることも、

会話をすることもなくなっていきました。

だから、いつも母とびっちり向き合っている、私に起きていることなど、

父は知る由もなかったのです。

そして、仕事柄、世間の信頼や信用にかかわることにはうるさくて、

私の行動にも、とても厳しかったのです。(いわゆる箱入り娘ってやつですね)

 

今思えば、そうしたくても出来なかったのかもしれませんが、

忙しい仕事にかこつけて、母とも私とも向き合おうとしなかった父を

私はどこかで、憎んでいたのかもしれません。

 

 

時は流れて、私は離婚をして実家に出戻り。

それからまもなくして、母の癌が見つかり、罵声を浴びせられながらの介護。

一年半位経ってから、母が先立ったのですが、あんなに仲が悪かったのに

父がメソメソするので、私は泣くこともできず・・・

私は、父から、依存されたり、干渉されるのが嫌で、母の一周忌が過ぎた頃

逃げるようにして再婚し、家を出ました。

話し合っても、反対されるのは、わかっていたので、ほぼ断絶するような形でした。

それでも、一年位経ってからでしょうか、店をやる私の所に父が顔をみせてくれるようになり、

お互いぎこちないながらも、何となく親子の関係は復活したのでした。

 

その後、父も肺がんに罹り、手術や治療で入退院を繰り返しました。

残された命が、もうそう長くはないだろうという時期になって

私は、多分、初めて父と二人っきりのお正月を過ごしました。

幼い頃からの母とのことなど、じっくり話し合いました。

父は、初めて聞く話に「申し訳なかった」と謝ってくれました。

私が離婚を選び、再婚したことも、

「おまえの判断は間違っていなかったな」とも言ってくれました。

 

そして、父は春分を迎えた頃、あちらの世界へ旅立っていきました。

 

その後の私は、以前のブログで書いたとおり・・・

 

父の四十九日が済んだ頃、

もう父がいないんだ、という実感がじわじわとこみあげてきて

店をやっていて、じゅうぶんに面倒をみてあげられなかったこと

もっと、こんなこと、あんなことが出来たんじゃないか、という後悔や

生前に父がしてくれていたこと、残してくれていたことなどを

目の当たりにするたびに、「あぁ、私は愛されていたんだ」と確信して

そう思えば思うほど、もう父はいないんだ、私はひとりぼっちなんだ、と

悲しさと寂しさでいっぱいになって、毎日「会いたいよ~会いたいよ~」と泣きました。

今、書いていても涙がこぼれてきます・・・

 

あなたが、今、うざいと思っている両親、兄弟、パートナー。

居るのが当たり前になっている人達。

明日も居るとは限りませんよ。

実家に暮らしているなら、今、落ち着いて過ごせる部屋があること、

自分で作らなくてもご飯が出て来ること、学校へ通えること。

それは、当たり前のことではないですよ。

両親が、少なからず苦労をして、我慢をして、その状況があるのです。

 

身内じゃなくても、友人知人でも良いです。

あなたが、メールや電話をしているときだって、一緒にご飯を食べているときだって

その相手は、あなたのために、自分の時間を使って、エネルギーを使ってくれているんですよ。

お互い様かもしれないけど、自分が受け取っているものを、ちゃんと認識していますか?

 

私が、一番嫌だな、と思うことなんですが

明らかにこの人お金持ち、って人に、奢ってもらったり、振る舞ってもらうことを

当たり前だと思っていませんか?当然だよね!みたいな感じ。

私、きっと、あまりお金に困っているように見えなかったのか?

そういう扱いされることも多かったんですよね(笑)

それを、出す側も喜んでもらえるのが嬉しかったりもするんだけど。

別に、金銭的なお返しを、っていうんじゃなくて、自分の出来ることで、

相手に喜んでもらえれば良いと思うんです。

ちょっとしたカードを送るとか、SNSで感謝を伝えたり、シェアすることだって、

相手のイメージが上がるから良いと思いますよ。

「私はこの人から、こんなものを受け取りました!おかげでこうなりました!」って。

 

今、自分が何事もなく、過ごしていられることを、当たり前だと思わないで下さい。

 

綺麗な空気を吸えること(中国のスモッグの中で生きたい?)

綺麗な水を飲めること(泥水をすすってお腹壊したい?)

安心して眠れること(いつ爆撃されるかわからないってどう?)

ご飯が食べられること(毎日外で食べ物を探し回りたい?)

 

あなたの近くにいる人が、あなたのことを思ってくれている時間も、

あなたの為に何かをしてくれている時間も、手間も、費やしているエネルギーも

どれも二度とない貴重なものなんです。

それを受け取っているんだ、と自覚して、当たり前だと思わないで下さい。

 

あなたと関わってくれている人が、この先もずっと一緒に居られるとは限らないのです。

大事な人には「大事だよ」って

愛する人には「愛してるよ」って

感謝してる人には「ありがとう」って

悪いことしたなって思う人には「ごめんね」って伝えて下さい。

後悔したときには、もうその人はいないんです。

 

直にいうのが照れくさいとき、たまには電話でも、メールでもして下さい。

「元気?」って。

 

 

 

 私がいつも、眺める湖も、いつも同じ場所にはあるけれど

見せてくれるその光景は、一瞬だけのもの。

二度と同じものは見られないんですよね。
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神社仏閣へ詣でるのはなぜなのか。

今日は、ちょっと固いお話になるかな?

 

今日は鏡開きということで、お正月気分も抜けた頃でしょうか。

皆さんは、初詣には行かれましたか?

私は、お察しの通り(笑)みんなと同じ行動と混雑が嫌いなので、

8日になってから、地元ではなく、ドライブがてら室蘭のお気に入りの場所

天神山不動尊清瀧寺に行って来ました。

因みに、昨年は旧暦のお正月に、地元の虻田神社さんへお詣りしました。

今年も多分、同じようにするのではないかと思います。

 

そもそも今のような初詣をするようになったのはいつからなのでしょうか?

その歴史は意外と浅く、どうやら明治の頃からのようです。

古来の日本では、「年籠り」という風習があって、

家長(一家の長)が新年を平安に暮らすために、大晦日の夜から元旦の朝にかけて

氏神の社に籠り祈願したらしいです。

時は流れ、年籠りは「除夜詣」と「元旦詣」に分かれ、

この「元旦詣」が現在の初詣の原型となったようです。

江戸時代末期には、その年の恵方にある神社に参拝する「恵方詣り」となり、

明治時代には「恵方詣り」は廃れて、有名神社などの好きな所へ詣でる

現在のスタイルになったようです。

鉄道などが発達し、有名神社へ行きやすくなったのが要因とも言われています。

結局、人が動けば経済も動く、ということなのかな、と思います。

 

さて、神社には、統括している神社庁神社本庁というのがあります。

宗教法人です。

言い方は悪いですけど、コンビニの本部とチェーン店みたいな関係です。

法人と名がつくからには、収入、儲けがないと成り立たない訳で。

そうなると、今の初詣は一大イベントであって、一番の掻き入れどきってことです。

そして、想像ですが、コンビニ各店で、自分たちの裁量で安売りが出来ない状況と

同じ不自由さがあるんじゃないのかな・・・

 

ここからは、私の勝手な解釈、個人的な意見です。

 

神社やお寺が、元々建てられている場所って、誰でも感じると思うんですけど

何となく気持ちが良いとか、背筋がピッとするとか、

それが気(エネルギー)の良い場所っていうことです。

 

気分が良い=意識が軽い=周波数が高い=本来の自分に近い

つまり、本来の自分に還りやすい、思い出しやすい場所ってことなんじゃないかと。

だから、本殿には自分の姿が写る鏡がありますよね。

よく言われることですが、

「かがみ」から「が(我)」を取ると「かみ(神)」になる。

自我(思考)を無くし、無になって本来の自分になる場所。

 

だから、お百度参りとかは、一心不乱にそれをやることによって

思考が止められるってことなんだと思うんですよね。

舞を舞ったり、唄を歌ったり、楽器を奏でたりするのも、

それを好きな人達がやることで、やっぱり何も考えずに入り込んでいるのだと思うし

お祭りも、みんなで楽しく飲んだり食べたり騒いだりすることで、

その時は、嫌な事も悲しい事も忘れて、無になったんじゃないのかな。

 

きっと、神社仏閣は、

それぞれの人が必要なときに、自分を思い出しに行く場所だったり

地域の人達の、大事な節目に集まる場所だったんだと思うんですよね。

だから、今の初詣しか行かないとか、お祭りしか行かないというのも

どうなんだろう?と思うし、

商業的な臭いも感じてしまうのは、私が捻くれているからなのかな?

 

要するに何が言いたいかというと、

いつも、同じようなことになってしまうのだけど、

みんながやっているからって、何の疑問もなく当たり前にやってることって

いっぱいあるんじゃないの?ってことなんです。

 

普段何も考えずにやっていることの、本来持つ意味を考えたことがありますか?

 

 

写真は、一昨年の春分に、季節外れの大雪が降った後、

地元の虻田神社さんの鳥居に現れた白蛇様。

これが、二度目だったのですが、こういう説明出来ない不思議な現象はあるんです。

虻田神社さんは、本当に気の良いエネルギースポットで、

宮司様、奥様、禰宜様、みなさん本当に優しくて、素晴らしい方々なんです。

洞爺湖にいらした時は、是非、ご挨拶されると良いと思いますよ。 


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偽りの世界で生きることより、孤独を選ぶ。

今日は、私の中に抱えている闇をさらします(笑)

おまえ、何様だよ!!と思ってもらっても結構ですが、気分を害される方はスルーして下さいね。

 

いつからなのかは、わからないけれど、

私の中には、常に絶望感、虚無感がありました。

今思えば、それは生まれ落ちた瞬間からだったのかもしれません。

きっと、自分で望んでこの世界にやってきたんでしょうけど、

想像以上の荒みっぷりに愕然としてしまったのかな。

 

今思い出しても胸が痛くなるのですが・・・

 

母から、欲求不満の捌け口として扱われた仕打ちの数々。

それでも、母親だから愛していたのに、

突然、母親じゃないと告白された時の衝撃と孤独感。

大人になって、いくらかでも真理をわかった今は、

その経験があったからこそ、今の自分があるのだと、

その意味も理解できるし、赦すことも出来たけど、

当時の傷は、今でもしっかり傷跡が残っていて、時々疼くのです。

 

そして、学校や会社という、集団生活の中で感じた疎外感。

特に女子の集団が、本当に苦手で。

私は、何の意図もなく、ごく普通に振る舞っているつもりなのですが、

多分、ちょっとでもスゴイと思われることが出来たり、

人より目立ってしまうとダメなんでしょうね。

飛び抜けてるわけじゃないんだけど、

勉強もそこそこ出来て、

絵を描くのが好きだったから、美術展で入賞とかすることがあって、

走るのが速いから、いつもリレーの選手で、

ピアノを習っていたので、合唱の時は伴奏の役まわり、

そして、特別可愛いとか美人じゃないんだけど、ちょっぴり男子にモテたり、

そしたら、何も悪いことしてないのに、仲間外れにされるんですよ・・・

特に私の父は転勤族だったので、転校を繰り返す私は、注目されやすかったんだとも思います。

 

会社に入ってからも、仕事が出来ると(人一倍の努力もしました!)

上司に認められて、それなりの仕事もまかされるようになります。

そうすると、また女子からは距離を置かれるようになり、

みんなで遊ぶような時も、誘ってもらえなかったり。

私、性格悪かったのかなぁ?(笑)

 

こういう女子特有の嫉妬とか妬み、私にはどうしても理解が出来ないんです。

共感体質だった私は、そういう人の感情を敏感に感じてしまっていたんですね。

これは、今でもあります。

自分より何かが出来る人への、羨望や嫉妬。

だから、自分をさらけだすことが怖かったんですけどね。

 

どんどん素の自分に戻っていったここ最近の私。

札幌で住んでいた家を捨て、やっていた店を閉め、あらゆる縁を捨て、

洞爺に移住したのが、2014年の春(もうすぐ3年にもなるんだ?!)

一昨年は、離婚をして、

昨年は、それまで仲良かった人たちとの縁もなくなってしまい

手持ちのお金もなくなってしまい

本当に全てがゼロにリセットされてしまいました。

 

そしたらね、わかっちゃうんですよ。

自分を偽って、虚飾を生きてる人たちが。

 

実際、自分でもイベントの主催やお手伝いをさせてもらって、

裏側を垣間見てしまったのもありますし、主催をする人同士の情報交換とかね。

中には、本当にこの人は本物だな!と思う人もいらっしゃいます。

でも、みんなが感動的!素晴らしい!

と絶賛しているような団体の裏側が実はドロドロの人間模様だったり

すごい人格者だと思っている人が、あちこちで女に手をつけてたり

清貧を装って、生き方を尊敬されるような人が、実はすごくお金に汚かったり

そんなのを、いっぱい見て来ましたから・・・

 

人間だから、いいんですよ、ずるいとこや、弱いところがあったって。

でも、それを無い事のようにして、綺麗なところを誇張しているのを見ると

気持ちわるっ!!てなる。

そして、その上辺だけをみて、

わぁ~~~すごいです!感動です!さすがです!とか言ってる人達を見てると

吐き気がする!!(笑)

 

そういう人に限って、自分の内側を見るのが怖いから、外側を飾ろうとする。

 

人より知識があるから、すごいんじゃない。

世界の秘密を知ってるからすごいんじゃない。

霊験あらたかな場所へ行ってるからすごいんじゃない。

人々が良いと思ってるものを扱ってるからすごいんじゃない。

人より多く行動してるからすごいんじゃない。

人よりお金を稼いでるからすごいんじゃない。

 

自分の弱さも、狡さも、だらしないところも、全部認めた上で、

(それも自分の思い込みだったりするけど)

「私はこういう人間です!」で宣言できる潔さが、本当の強さであって

本当の自分を表現している人が、魅力的で、美しい人だと思うんです。

 

いやね、

いいんですよ。何を選択しても。

自分たちの生きやすい世界で生きればいいんです。

それぞれの自由なんですから。

 

でもね。

 

この世界は、ひとりひとりの意識が創っていることも、紛れもない事実なんです。

それがわかっているから、

ほとんどの人が、嘘の、偽りの、虚飾の世界を生きている現状を思うと

 

もう、全然だめじゃん!

世界がそう簡単に変わらないんなら

もういっそのこと

ぐちゃぐちゃになってしまえ!! 

 

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と、私は心の片隅で思っています・・・

 

また、どこかで、早く消えて無くなってしまいたい、という願望も持っています。

(でも、これはこの世界が大好きで、生きたい!!の裏返しなんだと思います。)

 

そうは言っても、私は今日も生きていて、生かされているのですから

生きている以上は、精一杯この世界で生きなければ、と思うんです。

 

だとしたら。

 

嘘をついて生きたくない。

 

人は一人では、生きていけないのもわかってる。

でも、作り笑いを浮かべながら、仲良しごっこをするのは

自分を殺すことになる。

生きながら、死ぬことになる。

そんなふうに生きるくらいなら、喜んで孤独を選ぼうと思うのです。

 

と、言ってもちゃんとわかりあえる人も、少~~しはいますからね!(笑)

 

 

自分の満たし方。

発信し始めて、感じるのですが、

自分を後回しにして、人を優先する生き方をしてきた人が、本当に多いんだな、と。

今までの、親や学校の教育が、同調性とか、協調性を重んじてきたから

仕方のないことだと思うのだけど。

いつも、親や先生や友人たちの顔色をうかがい、空気を読まなきゃ

上手くやっていけないと思い込んでいたからね。

 

私も自分さえ我慢すれば上手くいく、自己犠牲こそ自分の価値、だと思っていたから。

みんなが喜んでくれることが、自分の喜び!なんて思ってる反面、

自分が気を遣って、こーんなに頑張ったおかげでしょ?っていうのを認めてもらいたくて

そこを気付いてもらえない、感謝してもらえないと、勝手に傷付いたりして(笑)

 

今ならわかるけど

人に認めてもらう前に、まず自分自身が、自分を認めてあげないと

いくらやったって、満たされるわけないんだよね。

 

順番が違う。

 

自分に自信がなくて、自分を好きじゃない人間が、他の人を満たせる訳なんかないのに。

 

欲しいものは、外側ではなく、内側にあったんだって、元々持っていたんだって

気付いた今、蔑ろにしていた自分を、いっぱい満たしてあげたいなって思います。

ひとりが寂しくないって思えるようになったから、

外側に向いていた目を、100%自分に向けてあげたい。

 

じゃあ、自分を満たすって、いったいどうしたら良いの?っていう方法を

私なりに見つけたので、お教えしようと思います!

まちがっちゃいけないのは、これをやるのは、昨日の記事にも書いた通り

 

lakotoya.hatenablog.com

 とことん、自分の感情を感じ切った後です。

そうじゃないと、ただ寂しさを紛らわす行動になってしまいますので、注意!

 

まず、自分のことを、もう好きで好きでたまらない彼氏か彼女だと思って下さい。

つまり、一人二役をやります(笑)

今まで、大好きだった彼氏や彼女に、どんなふうに接して来たのか思い出して下さい。

 

どうしたら、相手が喜んでくれるかな?

どうしたら、笑顔になってくれるかな?

 

例えば、プレゼントをするときも、大好きな人に贈るのに、なるべく安いもの、

という基準じゃ選ばないですよね。

予算はあるかもしれないけど、その中で最高のものを選ぶと思います。

そういう基準で、自分の欲しいものを買う。

 

今日の夜、彼氏が来るとして、じゃあ彼の好きな美味しい手料理を作ってあげよう!

という感じで自分の為にごはんを作る。

 

明日はお休みだから、どうやって楽しませてあげようかな?

映画がいいかな?美味しいものを食べに行こうかな?綺麗な景色を見に行こうかな?

と自分を連れていってあげる。

 

恋人とデートするつもりでちゃんとお洒落する。

 

こうやって、自分で自分を大切に扱ってあげると、

セルフイメージが上がって、自信を持つと自然と輝いてしまうので、

現実にも本当にモテるようになっちゃたりします・・・うふ♡

 

お試しあれ!(^_-)-☆

 

 

今日は景色の良いカフェに、自分を連れて行ってあげました☆
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人のことが気になる?

画像探すのが面倒なので、自分で描いてみました。

基本アナログ人間でPCにも疎いので、描いた絵を写メするという原始的な方法…(笑)

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今日、散歩をしながら、ボーっと考えていたんですけど。

私が、自分のスピな部分を隠したかったのは、何でなんだろうな~?

 

みんなと違うところを見せちゃうと、変な人だと思われる

       ↓

変な人だと、陰口を叩かれる。

       ↓

陰口がどんどん広まって、仲間外れにされる

       ↓

ひとりぼっちになる

       ↓

ひとりぼっちは寂しい

 

そっか、ひとりぼっちになって、寂しい思いをするのが嫌だっだんですんね。

一人で寂しさを感じることが、そんなに怖い事だったんだ・・・

きっと、大人になるまでに、そうやって傷付いたことがいっぱいあったから

また傷付くのが怖かったんでしょうね。

 

昨年の後半は特に、物理的にもひとりになって、

どうしても自分と向き合わざるを得ない状況になりました。

しかも、頭でこのままじゃいけない、何か始めないと、お金稼がないと、と思っても

どうしても、何も手につかず、何も出来ないんです。

多分、私と同じような種類の人には、わかってもらえるかと思うんですけど

選択の余地がないんです。(笑)強制的に、そうさせられる。

今まで、何かしないと人から認められないと思って生きてきた人間が

「何もしない」って本当に勇気がいるし、恐ろしいことなんです。

 

そうやって、ただただ、自分の孤独感と寂しさと焦燥感を感じる日々。

それは、想像以上に壮絶で、大袈裟ではなく、死ぬか生きるかって感じ。

ぶっちゃけ、私は自傷行為もしました。ほぼ、精神科へ行くレベルです(笑)

でも、それは死にたいからではなく、反対に生きたいから、生きている実感を得るためでした。

 

そこまで、追い込まなくても、寂しさを紛らわしたかったら、誰かに会うとか

人の居る所に行くとか、お酒が飲めるならお酒飲んで忘れるとか

(幸か不幸か、私はアルコールが飲めない体質なので 笑)

すれば良いのかと思いますが、今回ばかりは、誤魔化してはいけないと思いました。

 

もう、多分物心ついた時から、いや、もしかしたら生まれたときから、

抱えてきた寂しさや悲しさ。

それを、感じるのはとても辛い事だから、ここに至るまで、ずっと感じないように

見ないように、生きてきたと思うんです。

それを埋めるために、一生懸命自分の外側を飾って、特別な人になって、

人から認めてもらおうとしたり、

がむしゃらに仕事を頑張ってみたり、

一生懸命、尽くすことで、愛を得ようとしたり、

同じような仲間と集まって、仲良しごっこをしたり。

 

でも、それをいくらやったてって、埋まらない。

取り繕った、偽りの自分のままでは、前に進めない。

 

自分の奥底に眠っている感情を、「あぁ、ずっと寂しかったんだね」って

感じて、認めて、抱きしめてあげないと、なくならない。

悲しむこと、寂しがること、そういう感情を持つことが悪い事だと思って

無理に笑顔を作ってきたかもしれないけど、

どんな感情も自分の中から出て来た、自分にしか感じられないもの。

それを、良くないこととして、蔑ろにしたら、可哀想じゃないですか。

それも、自分から出て来た愛しいものなのに。

 

自分の中に隠し持ってきた感情を、ただただ感じることをやったら、

いつしか、スッと抜ける瞬間が来て、

「あれ?私はひとりじゃない」と思えたり

「ひとりでも、しあわせ!」と思えたんです。

 

そうしたら、元々そんなに友人がいたわけでもないし、わかってくれる人もいるじゃん!

と、いい意味で開き直れたんです。

人にどう思われるか?何て言われるか?何でそんなに気にしていたのか?

別にどう思われたって、何言われたって、ひとりぼっちになったって

死ぬわけでもないし、ひとりでもしあわせだし、気楽に生きられるし!

 

人の目が気になって、自分を表現出来ない人は、何でそう思うのか?掘り下げてみて下さい。

ひとりぼっちは、寂しいことなのか?悪い事なのか?考えてみて下さい。

実際、私は思い込みを越えて、自分をさらしてみたら、

拍子抜けするくらい何も変わりませんでした。

 

自分の勝手な思い込みで、自分の人生を生きられないのは、本当にもったいないことです。

 

そして、反対に、人のやってることが、気になっちゃう場合もあると思うんですが、

それも、自分の人生を生きていないからだと思うんです。

自分が出来ていないことを、出来ている人をみると、

それを、勝手にジャッジして、自分の方がすごい!と思いたかったり

モヤモヤして、アラを探して文句言ってみたり

あの人は、こうだから出来るのよ、って拗ねてみたり・・・

 

自分の人生を、生き始めると、自分にしか興味がなくなります。

他の人がどうしていようと、気にならなくなります。

人に向けるエネルギーがもったいなくなります。

 

人の目が気になって、自分らしさを発揮出来ない。

だから、自分が出来ないことをやってる人が気になってしょうがない。

どちらも、今までの経験からの勝手な思い込みで、自分で制限をかけているからです。

 

私がやってきたことは、本当に大変だったので、他の人にもやった方がいいよ!とは

簡単には言えません。

でも、覚悟を持って、自分の人生を生きたい!と思うなら、

長年見ないようにしてきた感情を、誤魔化さずに感じて見て下さい。

 

この先も、ずっと人の目を気にして、人のやることが気になる、

そんな人生を送りたいですか?